これからの野球を考えよう

教員・野球部顧問という立場から、今後のアマチュア野球や部活動のあり方について考えていきます。また、日々精力的に頑張っている指導者の方々の指導技術が向上し、選手たちがより良い環境で野球ができるようになるよう、私の指導論も紹介します。

2019年04月


②中学校~コーチとしての指導者~
中学校段階での指導者は、コーチとしてコーチングをします。
ただ、初心者が多い場合はティーチングから始める必要があります。指導者が複数いれば、選手をレベル別にして指導するのが理想です。
コーチングは、対話を通して選手たちが目標を達成するためのサポートをすることです。日本では一般的に指導者のことを「コーチ」と総称していますが、本来的にはサポートが最も重要な仕事なのです。
中学生になると、思春期を迎え、自立心が高まってきます。私も経験がありますが、中学校2年生の夏頃から、大きく態度が変わります。
一生懸命だったのに無気力になる子、反抗的になる子、周囲を負の方向に巻き込もうとする子、逆に先輩としての自覚が芽生えしっかりとする子。
特に、ネガティブな方向に行ってしまった選手とは、とにかく対話が必要です。対話をすることによって、彼らのやる気や可能性を引き出すことが重要です。
一度やる気を失ってしまった選手が、対話を通じて復活した時などは、嬉しいものです。

一方で、徐々に主導権を選手たちに渡していく必要もあります。
私は、練習メニューを自分たちで考えさせ、それに対してアドバイスをするという方法をとっていました。
こうすると、選手たちは、「自分たちが組んだ練習メニューだから、しっかりやるぞ」という気持ちになるのか、準備が早くなったり、練習メニューの切り替えもお互いに声を掛け合って素早くなります。
これで試合も良い結果が生まれれば、より自信になっていくでしょう。
こういう成功体験は、必ず将来にも役立ちます。

自由にやらせるということではありません。
中学校の指導者は、選手たちに主導権を渡しつつ、しかし重要な部分は手綱を握っておく必要があります。
 私は、「一生懸命やっている子が損をすることがないように」ということを信条にしていました。
チームの足を引っ張ろうとする選手には、厳しく接することもあります(なので結構怖がられてしまいます)。
そして何より、選手との対話が重要です。これによってラポールが形成され、より良い選手と指導者の関係が生まれ、チームの歯車がかみ合います。
中々根気がいりますし、時にはイライラすることもあります。怒鳴りつけたいときもあります。
しかし、そこは大人として忍耐力を持って接していきましょう。

①小学校~ティーチャーとしての指導者~
小学校段階での指導者は、ティーチャーとしてティーチングをします。
小学校では、ほとんどの子どもが初めて野球をやりますし、自分で考えて動くということもまだまだできません。指導者がしっかりとリードし、中学校で野球をやるための基礎技術や、礼儀・マナーなどを教えていかなければなりません。
近年は自主性などが尊重されがちですが、ティーチングが必要な時期はもちろんあります。
小学校の野球(に限らずスポーツ全般)にとって一番大切なのは、子どもたちに「野球って楽しいな」「中学でも続けたいな」と思ってもらうことです。
日本の野球は、どうしても小学校|中学校|高校が断絶していて、各段階の指導者(時には子ども・保護者も含め)が結果を求めがちになります。しかし、一番大切なのは、子どもたちが野球を続けることです。
指導者に最も大切なのは「勝つ」ための熱意ではなく、「子どもたちに上手くなって、楽しく、今後も野球を続けてもらいたい」という熱意です。
小学生の指導はとても難しいものです。だからこそ、指導者はしっかりとした指導理論を学びましょう。そうすれば、指導者も子どもたちも楽しく野球ができます。

選手の「酷使」や保護者の「お茶当番」――縮小する少年野球が抱える課題
https://news.yahoo.co.jp/feature/1304

 野球人口の減少は、特定の選手の酷使をもたらしています。

日本の場合、小学校|中学校|高校がそれぞれ断絶している(一貫指導ではない)ケースがほとんどであるため、強いチームに行くためには各カテゴリーで結果を残す必要があります。
また、トーナメント制の大会が多いため、勝利に固執しがちです。

その結果、最もチーム内で能力の高い選手が務める投手が酷使され、肘や肩を壊してしまう。
各カテゴリーで最も良い選手が壊れていってしまうのです。
人数が少ないチームであればなおさら負担は増えるでしょう。
中学野球でも、人数が少ないチームでは、1試合目は投手、2試合目は捕手という起用をするところもありましたが、私は絶対に投手と捕手の兼用はさせません。2つとも投げる負担が多いポジションだからです。
また、怪我につながる理不尽な指導も多いです。
小学校で野球をやめてしまった子どもたちの話を聞くと、非科学的な指導が行われているチームもまだまだあるということがわかりました。

子どもたちの未来を守るためにも、指導者は野球の怪我について学ぶ必要があります。
また、なるべく怪我をしないための正しい投げ方などを指導できるようにしなければなりません。


もう1つの問題は運営側の問題です。
私も中学野球の顧問時代は、年配の先生方に、試合間隔や高温時の試合などについて、若輩ながらかなり意見を述べました。
しかし、返ってくる答えは「場所がない」「上部大会との日程が」など・・・。
確かに、運営の方々の苦労はわかります。

はっきり言って、小学生や中学生の大会に全国大会は必要ありません。
この段階であれば、トーナメント制の大会よりも、「初級者」「中級者」「上級者」のようなカテゴライズをして、各々の実力に見合ったカテゴリーで、全員が試合に出られるリーグ戦など、試合経験を増やすことが重要です。
そこでレベルアップすれば、上のカテゴリーへ。もっと高いレベルでプレーしたい選手は向上心が芽生えますし、そこそこのレベルで楽しみたいという選手は楽しく野球ができます。

カテゴリー別のリーグ戦というのは、大人の草野球ではよくあります。
この重要性に気づいて、賛同いただいた先生方の協力や、スポンサーもついて、年間を通して初級者のリーグ戦を開催しています。
中学から初めて野球をやるという選手も試合に出られるよう、ルールはアメリカの少年野球を参考にした特別なものになっています。
指導者・選手・保護者からも好評です。

近年、「プレイヤーズファースト」という言葉が広まってきました。
これは、選手の好き勝手にさせるとか、甘やかすとか、そういうことではありません。
選手が将来も楽しく野球ができる、中にはプロで活躍する。そういった環境を整えるために、大人たちが知恵を出し合い、より日本の野球が発展できるようにしていきましょう。

新潟明訓の挑戦 部員の丸刈りやめ「長髪奨励」
https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/201904090000159.html

坊主の強制や規律正しい行進・・・。
私も現役の時はよく考えずに行っていましたが、教員になってたくさんの知識を身につけてからその姿を見ると、カッコいいというよりも、「一体これをやらせている大人たちはどんな子どもを育てたいのだろうか?」という疑問を持ちます(坊主頭は汗をかいたりしても楽なので、あくまで有用ということで私は好きです)。

教育とは、子どもたちが将来を生きる力を身につけるもの。「今」を改善するのは指導、「未来」を輝かしいものにするのが教育です。
野球の諸団体は「野球を通じての教育」を謳いますが、軍隊でも作ろうとしているのでしょうか?

「坊主頭が嫌だから野球をやらない」という選手はそれなりにいます。中学野球で上手い選手に高校はどこ行くの?と聞くと、坊主が嫌だから軟式に行くという回答もあります。頭の形やあざなどにコンプレックスがあるという選手もいます。
高校軟式野球は硬式野球をやらない生徒たちが主体になって形成されてきたためか、坊主頭のような伝統はありません。みんな髪は伸ばしていますし、オシャレです。
楽天の岸選手は、坊主頭がいやで高校では野球をやらないつもりでしたが、先輩から坊主頭にしなくてよいという条件で誘われて野球を続け、現在ではプロ野球を代表する投手になっています。

「坊主や厳しい練習は当たり前だ。今の子は厳しいとすぐ音を上げる」
果たしてそうでしょうか。子どもたちと話していると、現代の子どもたちは非常に合理的・科学的に物事を冷静にとらえているとつくづく実感します。
昔の選手は確かに我慢強く、一生懸命練習していたかもしれません。しかし、一方では自分で考えることを放棄してしまっていたのではないでしょうか。

さて、坊主や行進、厳しい上下関係。このような軍隊的なしくみはどうして日本の野球に根付いてしまったのでしょうか?
その原因の一端には、「学生野球の父」と呼ばれる飛田穂洲の存在が大きいようです。
彼の考えは、野球を「野球道」として心身強靭化のための猛練習を是としたものです。
これに関しては、戦中期に野球が敵性スポーツとして政府から睨まれたため、方便として用いたという話もあるそうです。
実際はどうあれ、残念ながら、彼の教えが、現在の野球の指導者に連綿と受け継がれ(時には歪曲され)、日本の野球界に暗い影を落としている遠因になっているのです。
怪我をもいとわない非科学的な練習、理不尽な指導、坊主、軍隊のような行進・上下関係・体罰・罵声。野球指導者の系譜をたどると、彼に行きつくというケースは多いでしょう。

私は武道も嗜んでいますが、スポーツと武道は別物です。
日本の野球をれっきとしたスポーツにするためにも、指導者たちが、自分たちの受けてきた指導の根底に「野球道」という誤った教え(信仰と言っても良いかもしれない)があるということを認識し、それを乗り越えていかなければなりません。

先日の大会で、非常に参考になった(助かった)コーチのアドバイスがありました。

相手の投手はこれといったボールはないものの、どんどんストライクを取り、堅い守りで打ち取っていくタイプでした。

打てそうでなかなか打てない。良い打球は飛ぶものの、全体的に突っ込み気味。
自分たちの実力なら打てる球なのに、得点につながらない。
打てるはずなのに・・・。イニングが進むごとに、焦燥感が募ります。

そこで、隣のコーチから一言
「みんなタイミングがあっていない。投手の下半身の動きでタイミングを取っているが、腕の動きでタイミングを取った方がよいのではないか。」

Σ( ̄ロ ̄|||)

相手投手は独特な下半身の使い方(脚の溜め方)をするタイプで、それになかなかタイミングが合っていなかったのです。
そこで、それに惑わされないよう、トップの位置を作るタイミングを見るように、と。トップの位置のタイミングは全ての投手に共通である。

これが功を奏したのか、終盤にようやく打ち始め、見事8回裏に逆転打が飛び出して逆転勝利!

的確な指示を出していただいたコーチに感謝です。

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